JCD AID (ジェーシーディーエイド)
JCD日本商環境デザイン協会は、各地で起こる災害に対して積極的に支援を行うべく、JCD AIDを立上げました。JCDの正会員、賛助会員から義援金を募り、それを理事長と各支部の支部長の判断のもと、適切な支援を、適切な場所に行っていく活動です。2024年1月1日に起こった能登半島地震への支援を始めております。以下の報告は、JCD北陸支部の木村支部長の支援活動の報告となります。ここにJCDの義援金が活用されております。
2024年6月23日支援活動
日 付 | 2024年6月23日 |
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場 所 | 珠洲市の被災地へ |
内 容 | 被災地珠洲市への支援活動 |
担当者 | 北陸支部/木村嘉秀支部長 |
6月23日に珠洲市の大谷町避難所と馬繋町避難所に冷蔵庫を届けてきました。JCD北陸メンバーの二名とその小学2年生のお嬢さんと私の4名で赴きました。今回は私が普段お世話になっている厨房器具屋さんも同行して頂きました。
大谷地区で自治活動をしている方と繋がっており、何か必要な物資はないか?と聞いたところ、この二か所の避難所の冷蔵庫が壊れたので困っていると知らせて頂きまして、急いで段取りをしました。大谷町の避難所は家庭用の大型冷蔵庫が2台壊れた。馬繋町の避難所は業務用の4枚ドア冷蔵庫が壊れた。との事。
厨房器具屋さんに聞いたところ中古ではあるけどまだ新しい業務用4枚ドア冷蔵庫があるとの事でした。事情をお話したら、運搬も含めて格安でやって頂ける事になりました。また私の方では、ハイエースに乗るサイズの家庭用中型冷蔵庫4台をリサイクルショップにて購入。
昨日は警報級の大雨と天気予報が出ていましたが、北の方は雨は強くない感じでしたので決行しました。結果的には大した雨にも合わず無事に届ける事ができました。湿度も気温も上がっていく梅雨時期ですので、一刻も早く届ける事ができて良かったです。
大谷小中学校がこの地区の避難所になっており、水道も復旧して行政の公式な避難所として運営されていました。消防官も常駐してここは官民が協力して無理のない範囲で皆が力を出している感じです。炊き出しのお昼ご飯も一緒に頂きました。どの避難所に支援に行っても必ず「食べていって」と言われます。子供さんはお菓子やジュースまでもらってました。遠慮するのですが「少しでも恩返しがしたい」と言われます。そう言われるとお断りするのも申し訳ないので頂きます。
大坂の箕面市から太鼓チームが激励のために太鼓の演奏に来ていました。子供も含めた大勢のチームで、避難所の方々には良い気分転換になったと思います。子供達が一所懸命に太鼓をたたく姿に感動しました。
行政と協力しているとはいえ、まだまだ改善は見られません。グラウンドには仮設住宅が設置される予定らしいのですが、地縄が張ってあるだけで他は何もありませんでした。予定ならもう工事が始まっているはずだそうです。まだ大勢の方が体育館での共同生活を強いられています。23人居たこの小学校の生徒は5人に減ったそうです。いつ改善されるか分からない状況に、多くの家庭が金沢へ引っ越しているとの事。
続いて馬繋町の避難所へ業務用冷蔵庫を届けてきました。ここは4月14日、一か月半前にも訪れた場所です。相変わらず水道が来ていない事もあり行政には頼らず自分達で運営しています。状況をお聞きしても一か月半前と一切変わっていないとの事。昨日は現地の方からは疲れを感じました。
いっそ馬繋地区を捨てて隣町の大谷避難所に合流すれば今よりも持続は楽でしょう。しかし各戸に居るお年寄りなどの事を考えると細かなケアが行き届かない事を危惧されていました。もしも移動するならお年寄りも含めて一気に避難所の大移動が必要です。これも大変です。本当に考えさせられました。
帰りに津波被害の一番大きかった宝立地区を通ってきましたが、残念ながら予想通り復旧はほとんど手付かず。道路にはみ出ていた瓦礫が敷地に押し込まれ、車が幾分通りやすくなっていただけでした。
今回で私個人としては11回目 JCD AIDの被災地支援としては5回目となります。以前は現地の方々から元気や勇気を頂いて帰ってきていましたが最近は少しがっかりして帰ってきます。現地の方はこんなに頑張っているのに、復旧があまりにも遅くなんとなく諦め感すら感じます。
ただ、私が震災を知らなくて、もっと早く復旧するものかと勘違いしていただけかもしれません。もしかするとこれが現実かもしれません。
被災地以外の私達に出来る事は、風化させずに小さくてもいいので長い支援を続ける事だと感じました。
今後も長く支援を続けていこうと思います。