JCD AID 能登半島地震への支援 2024/4/26


JCD AID (ジェーシーディーエイド)

JCD日本商環境デザイン協会は、各地で起こる災害に対して積極的に支援を行うべく、JCD AIDを立上げました。JCDの正会員、賛助会員から義援金を募り、それを理事長と各支部の支部長の判断のもと、適切な支援を、適切な場所に行っていく活動です。2024年1月1日に起こった能登半島地震への支援を始めております。以下の報告は、JCD北陸支部の木村支部長の支援活動の報告となります。ここにJCDの義援金が活用されております。

2024年4月26日支援活動

日 付2024年4月26日
場 所輪島市の被災地へ
内 容被災地輪島市への支援活動
担当者北陸支部/木村嘉秀支部長

2024年4月26日、輪島市への支援活動に行ってきました。

今回はサッカークラブチーム運営をされている方からの依頼で、子供達に関する支援と、現地の個人店の支援になります。今回は経営者仲間5社の新入社員13名と経営者もふくめて21名で、支援作業に当たりました。

現地は少しずつ復興が進んできた感があります。輪島マリンタウンという海に近い施設に大きなグラウンドがいくつかあるのですがそこにびっしりと仮設住宅が並んでいました。しかし、そのおかげでそこで練習をしていたサッカークラブチームが、違うグラウンドでの練習を余儀なくされています。しかしそこにはゴールポストがないそうで、練習に困っているとか。そこで、少年用のサッカーゴールを、20キロほど山に上がった日本航空学園のグラウンドまで、トラックで運びました。
また子供達が困っている事はないか?とお聞きしたところ、ノートやシャーペン、芯、消しゴムなどの文房具が圧倒的に足りないとの事。お水50ケースと共に文房具類も大量に支援品として運んできました。今回はここにJCDの義援金を使わせて頂きました。

この依頼内容を見ても、支援の方向が「生きる・生活をする」から「サッカーの練習がしたい・勉強がしたい」という文化的な方向になってきた事が伺えます。まだまだ焼けた朝市通りや倒れたビルは放ったらかしですが、それでもそこに生活する人々が文化的生活を取り戻そうと頑張っています。
次に、被害のひどかったエリアの個人商店さんからの作業依頼。

・被災した商店から棚や商品を運び出したい。
・被災した酒屋さんから生き残った酒瓶を梱包して運び出したい。
・被災したレストランから厨房器具や家具を運び出したい。
などです。
今までは物的支援が多かったですが、少しずつ作業の応援依頼も増えてきました。
再建や復旧の目途が立ち、「やるべき事」が明確になってきたようです。
本当に少しかもしれませんが前に向かって進み始めている感じがします。
皆さん大変な被災をされた中、また再開に向けて前を向いて頑張ろうとしている。
レストランのオーナーさんにお聞きしました。
震災のあった元旦も営業をされていて、実際にお客様も居られたそうです。
亡き母の形見のお店。町の人たちの憩いの場だったそうです。大変だけど頑張って再開したい!との事。
「何」のためにお店を再開したいのか
お金や商売だけの為でない事が伝わってきます。地域にとっての「いいお店」とはこういうお店の事だと気づきました。資金的にも物資的にもまだまだ足りてないそうで、なんとか手助けしてあげたいと思っています。

そして、昼食は最近営業を再開された輪島のお寿司屋さんへ。応援の意味も込めて奮発して一番高い海鮮丼を注文しました。カウンターで食べていると、常連らしきお客様が入ってこられて、
「大将、営業再開おめでとう」
「おお、生きていたかい!」
「お互い生きていて良かった!」
という言葉が交わされていました。
私は食事をしながら言葉にならない想いがしました。
地域の「お店」の存在価値は、たた「商品を売る」「食事を提供する」という役割だけではない事を肌で感じました。
そして、涙が出るほど美味しい海鮮丼でした。
また、お寿司屋の大将が言っておられましたが、震災があってすぐはたくさんのランティアの方が来てくれていたが、時間がたって、どんどん減ってきている。瞬間風速的な支援ではなく、こういう継続的な支援は嬉しい。
との事でした。
風化させない事も大切です。やっぱり支援を今後も続けていき、また皆さんにもお伝えしていこうと思います。


2024/05/30  | JCD AID,News,お知らせ