SECTION 64 「空間とラグジュアリーの再定義」イベントレポート


JCDシンポジウムSECTION 64
「空間とラグジュアリーの再定義」イベントレポート

文: さとう未知子
取材写真: 奥 俊輔 (※印)、さとう未知子 (●印)
開催概要ページ:https://www.jcd.or.jp/jp/section/4638/

1933年から続く、JCDの連続シンポジウム「SECTION」。64回目となる今回は、西洋建築史を研究する東京大学教授の加藤耕一氏、ミニマルで優雅な空間をつくり出す建築家の小川晋一氏、そしてハイクオリティなライフスタイルに精通するプロデューサーの岩立マーシャ氏をパネリストにお迎えしました。JCD正会員の林野友紀と監事の飯島直樹が聞き手となり、それぞれの視点から「心を豊かにするLuxuryとは何か」を掘り下げていきました。
今回のテーマは、歴史という長い時間軸を通して、装飾、つまりインテリアの価値を再定義すること。過去から現在へ続くインテリアの可能性をひも解き、現代におけるラグジュアリーの新しいあり方を考察する内容となりました。インテリアデザインの来し方行く末を辿る、思考の旅となるシンポジウムの始まり。

「装飾は悪か」― モダニズムの装飾否定がインテリアと建築を二極化した

加藤さんは冒頭、西洋建築史を背景に、装飾が建築において「付加的なもの」とみなされ、その下位に置かれるという流れが近代以降に形成された価値観であると指摘。「おかしな三段論法というものが、建築・インテリアの世界をミスリードしてきたのではないか」という問いが提示されました。
「モダニズムの建築家アドルフ・ロースが『装飾は悪である』と述べたことや、さらに遡れば、ルネサンス期の建築家アルベルティが残した『装飾は付加的で補足的なものである』と語ったこと。これらの価値観が受け継がれるなかで、現在においても『建築にとって付加的で補足的なものでは悪である』という価値観が形成されてしまったのではないでしょうか。その結果、装飾的なものは建築の下位の次元に置かれてしまった。実は、そうではないのではないだろうか。という視点から、今日の話を進めたいと思います」(加藤さん)。

さらに、加藤さんは、アドルフ・ロース自身も「装飾は悪である」と述べる一方で、実はそれ以前の著書、「被覆の原則について」では、インテリアの重要性について語っていることを紹介。
“建築に与えられた課題とは、暖かな、居心地の良い空間をつくり出すことである。この暖かく居心地良いものとなると、絨毯である。絨毯を床に敷き、四周に吊るせばこれが壁となる。しかし、絨毯だけでは家をつくり出すことはできない。絨毯を支えるための骨組みが必要となる。その骨組みを工夫することは、建築家に与えられた第二の課題である”(アドルフ・ロース「被覆の原則について」1898)

この引用からは、ロースがインテリアを「居心地の良さ」を生む中心的な要素と捉えていたことが明らかになり、構造は「心地よさを支えるための第二義となるもの」と述べられていることを指摘し、このように続けます。
「私の関心は、20世紀的な歴史の常識を打ち破るために、建築の歴史として、モダニズムから今までの100年の常識にとらわれることなく、500年、1000年のスパンから考えること」と、モダニズム以前の歴史に目を向けることの重要性を語りかけました。

19世紀産業革命がもたらした、インテリアの変革

19世紀はイギリスで始まった産業革命が世界に広がり、工業生産が飛躍的に進んだ時代。「蒸気機関」「製鉄」「紡績機・織機」という三大革新がもたらされ、建築にも大きな影響を与えました。特に鉄の登場で建築の構造的な可能性を広げ、蒸気機関や鉄道により、都市化が加速。一方で、布地の大量生産が建築の内部、つまりインテリアへの影響についてはこれまで多く語られてこなかったと、加藤さんは指摘します。
「19世紀には布地の大量生産がインテリアを激変させました。特にカーテンの普及は窓の発展とともに庶民の生活にも広がり、生活を一変させたのです。布地が特権階級だけでなく、庶民の手に届くようになったことは、19世紀の大きな転換だったと言えます」(加藤さん)。
これにより、カーテンや布地といったインテリアデザインが一般の人々の生活にも取り入れられ、インテリアのあり方が一気に民主化された時代と言えます。

さらに、産業革命による最先端技術は、インテリアを飾るアイテムの普及を促進。その流れで登場したのが、近代的な消費文化の象徴とも言える「百貨店」という存在。パリで世界初の百貨店「ボンマルシェ」がオープンし、インテリアデザインと消費文化が結びつく新しい時代の幕開けとなりました。
百貨店の話題に反応し、JCD監事の飯島さんは、日本のインテリアデザインにおける百貨店の役割に言及。
「日本のインテリアデザインのもとにあるのが百貨店であり、倉俣史郎さん・内田繁さん・杉本貴志さんなど、百貨店出身であったり、百貨店のデザインに深く関与したデザイナーたちが後に日本のデザインを牽引していく存在になった。ところが、今の日本の百貨店は多くが閉店に追い込まれ、崩壊状態に近い」(飯島さん)。

19世紀の芽生えたラグジュアリーが華やかさを増していく一方で、20世紀に入るとモダニズムが台頭し、価値観が一変します。近代建築史の創始者ニコラウス・ペヴスナーは、産業革命によって大量生産された工業製品を「装飾過剰であり、質が低い」と厳しく批判。ロンドンで開催されたロンドン万国博覧会(1851年)についても、「全ての産業工芸(industrial art)は下劣で装飾過剰だった。偽りの材料と偽りの技術が、産業界を風靡した」と酷評し、「モダニズム以降が素晴らしい」という価値観を世界に広めました。その結果、19世紀の文化は断絶され、見過ごされてきたと加藤さんは指摘します。
「モダニズムが注目したものは『非ラグジュアリー』な世界だったことが歴史を見ればわかる。一方で、19世紀には、これまで見落とされてきた豊かでラグジュアリーな文化が確かに存在していました。この両方を視野に入れていくことで、仕事の幅も広がり、新たな可能性が見えてくるのではないでしょうか」(加藤さん)。

建築とクライアントの関係性に見る、ラグジュアリーの推移

続いて、加藤さんは今回のシンポジウムのテーマである「ラグジュアリー」に関し、建築とクライアントの関係性を歴史的に振り返りました。
「歴史上、『名建築』と言われるものの多くは、いわゆるラグジュアリーな建築物だったと言えます。古代以来、建築家たちは権力者をクライアントとして、荘厳で豪華な建築を設計することで、その建築物は長い時間を経ても素晴らしいものとして生き続けてきました」(加藤さん)。
王侯貴族や宗教施設のためにつくられてきた建築が、市民革命を経て19世紀に入り、「公共建築」というカテゴリーが登場します。18世紀まではクライアントは権力者でしたが、19世紀には市民の手に渡ります。ただし、これからの建築物は上層社会に向けたものであり、商業施設・劇場・図書館・国会議事堂といった公共施設のなかに、前近代的なラグジュアリーの要素は引き継がれていました。ところが、20世紀になりモダニズムが台頭すると、建築の目的は大きく変化します。
「モダニズムは労働者階級の住宅改善に焦点を当て、狭い空間でも機能的で、光や風を取り入れる快適なデザインを追求しました。それがモダニズムの始まりでした。従来の、『過大・高コスト・ラグジュアリー』から、モダニズムの価値観が登場したときに、建築の評価基準は『最小限・低コスト・シンプル』へと変化しました。その結果、機能性・合理性・効率性が重視されるようになった。そこで私たちは、ラグジュアリーなつくりかたを見失ってしまったのではないでしょうか」と加藤さんは述べます。
産業革命により、貴族向けのラグジュアリーが上層の庶民にも広がった一方で、社会の下層部は取り残されました。20世紀のモダニズムは、この取り残された層に光を当て、生活を向上させる役割を果たしました。しかし、21世紀に入って再び格差が広がるなかで、加藤さんは、「私たちはどこに光を当て、社会にどう価値を生み出すのか。これは今後の仕事を考えるための足がかりになるかもしれません」と話し、現在の建築における新たな課題に向き合う重要性を問いました。

現代のラグジュアリーとは何かを、探る

では、現代におけるラグジュアリーや空間の居心地良さというのはどこから生まれるのか。加藤さんは、「物質性(マテリアリティ)」によるものではないか、と続けます。
「物質があることで、人と物質が呼応します。生きた痕跡が残っていることで、時間の流れを感じる空間が生まれるのです。その結果、居心地の良さや高揚感といった感覚が生まれます。ラグジュアリーという言葉を聞くと、私たちは、ともすれば完成直後の輝かしいピカピカな状態を思い浮べがち。しかし、建築・インテリアは使われることで価値を発揮するものであり、人が長く使い続け、人々に愛されることが前提となるもの。使われながらそのラグジュアリーが享受される空間づくりにおいては、素材の持つ力が大きく影響します。時が素材を熟成させていく。その変化を通じて、私たちは結果的に建築空間に対して愛着を増していくということにもなる。時間性をうまく活用することで、建築やインテリアの価値さらに高められるのではないかと考えます」と、加藤さんは絞めくくりました。
続いて、ミニマルな世界観で豊かな生活空間を創造する建築家・小川晋一さんと、ハイクオリティなライフスタイルに精通し、上質な世界観をプロデュースする岩立マーシャさんが、それぞれの作品をとおして「現代のラグジュアリー」を提示しました。

小川さんの作品は、無駄を削ぎ落としながらも自然や光、そして空間そのものの質を最大限に活かすデザインが特徴的で、ミニマルでありながらダイナミックな構成によって上質な空間を創り出しています。
なぜ、このようなミニマルなデザインが生まれたのかという問いに対し、「最小限・ローコスト」から始まったと答える小川さん。しかし、その背景には「見えないディテール」への徹底的なこだわりが存在しています。

また、2007年にカルバン・クライン社によるファッションと建築のコラボレーションプロジェクト「World of Calvin Klein with Shinichi Ogawa・The House」は、小川さんの建築哲学が表現された象徴的なプロジェクト。ガラス張りの空間を「家」に見立て、モデルがカルバン・クラインの服をまとい、観客たちが静かにそれらの動きや空気に見入る。小川さんは「ファッションと建築はどちらも包むものであり、それぞれの生き方を映し出すもの」と、語っています。
さらに、飯島さんは「SDレビュー」に掲載された小川さんの特集号から次のように紹介しています。「小川さんの建築は、ものとしての建築ではなく、『出来事の束』としての建築。そこに住まう人が起こすであろう行為が暮らしとなり、空間の価値をつくりだしていく。この考え方が今回のテーマであるラグジュアリーの再定義には、非常に重要な要素となるのではないかと思います」(飯島さん)。

続いてのプレゼンターである岩立さんは、ファッション、食、住空間を包括的にデザインし、生活そのものを上質な体験へと高めています。そのセンスは、日常の中に特別な瞬間を生み出し、人々にラグジュアリーを日常に感じさせるものでした。

岩立さんは、アパレル会社「JUN」の広告やショーのプロデュースをはじめ、杉本貴志氏が手がけた飲食店「春秋」のプロデュース、書籍制作、そして海外展開する店舗デザインまで、多岐にわたるプロジェクトを手がけてきました。最新のプロジェクトでは、2024年に韓国でオープンした百貨店の新業態「HOUSE OF SHINSEGAE」をプロデュースし、MZ世代に向けた新たな体験空間を提案。コンセプトは「豊かな旅へと導く」とし、食の楽しみ、プレミアム商品、パーソナルサービスを通じて豊かさを表現しています。
「私にとってのラグジュアリーとは、特別な瞬間、記憶、人とのつながり。あるいは、本物のマテリアルを使って、それらが時間とともに風化されていくこと。だからこそ、古いものも大切にし、その時間の蓄積を価値あるものに感じることが必要だと思います」(岩立さん)。

ラグジュアリーの概念は、かつての「特権的で豪華なもの」から、現代では「日常の中で感じる豊かさ」へと進化。自然との調和、空間と時間の交わり、そしてそこで提供される体験の質によって決まるものとなりつつあります。時代のなかで、人々が求める豊かさが変化すれば、それに呼応するように空間の豊かさのあり方も変化する。このシンポジウムをとおして、大きな歴史のなかでインテリアの現在地を見つめ、未来に向けた豊かさのあり方を参加者それぞれが考える時間となりました。


2025/01/16  | News,シンポジウムSECTION,セミナー