SECTION「SECTION38」
ステージ上のベンチをバスストップに見立て、バスがやって来るまでのあいだ、リラックスしてトークする新しい試み。パネリストのリアルな本音と表情をーーー
「それぞれのデザイン」と題された今回のシンポジウムは、空間やプロダクツデザイン、建築といったジャンルで活躍する気鋭のデザイナーからの生の声を聴くことで、デザインとデザイナーの置かれている状況をリアルに感じてもらうために開かれた。会場の九段会館にはほぼ定員いっぱいの900名以上が来場し、人びとのデザインに対する関心の高さがうかがえる催しとなった。
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飯島直樹氏は、原研哉氏に代表されるようなあらゆるフィールドをまたいで仕事をするデザイナーの出現は、デザインというものに対する人びとの意識が大きく変わりはじめてきたことの現れではないかと言う。 |
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90年代の初めの頃はデザインとアート、自分にとっての表現とは何かといったことをものすごく考えていた、と語るのは片山正通氏。しかし、やがて当たり前のものをきちんとやってゆこうという結論になり、お金もなかったからたまたまメンバーとシェアしながらスタートしただけで、ユニットを組むということにも特別な意識はなかったと。ただ、思い入れの強い手作り感覚みたいな、たとえば「自分で打った釘は美しい」みたいな価値観を持ちはじめていたのは確かだし、もしかすると根底にはバブルの時代に対する嫌悪感が潜んでいたのかもしれないとも言う。近ごろはデザイナーである前に生活者である自分というのを強く意識し始めており、仕事でデザインをしているわけだが、自分を騙せないし、ましてや人を騙せないという思いが強くある。そして、デザインの意味というのはまだよくわからないけれど、常に考え続けていることだけは確かだ、とも。また、nendoの佐藤氏みたいに自分の作品を持ってミラノサローネなんかにさっと行ってビジネスを成立させてくるような軽やかな感覚も持ちたいとは思うが、なかなか自分には真似ができないことだとも語る。 |
服部滋樹氏は、バブル時代のデザインのあリ方に疑問を感じながら、暮らしの中で自分にフィットするようなものを探したが見当たらず、ならば自分たちで作るという発想でスタートさせたと、grafを立ち上げた理由を振り返る。そして一人ではできないことを沢山の脳昧噌でやるほうがよいと思ったことがユニットというスタイルになった理由だ、とも。その服部氏は、いまはプロダクトデザインだけを提案して終わりというのではなく、それにまつわる商品の売り方や戦略までをもデザイナーが担う時代になってきたのではないか、商空間作りやブランディングを行うのもその一環だと思う、と。また、国境の垣根が低くなってきたいま、僕たちの仕事に共感してくれる人が国内だけでなく地球の裏側にも同時にいてくれることが重要だ。そうでなければ自分たちのビジネスそのものが成り立たないかもしれない、とも言う。そして、大阪には間宮吉彦氏みたいな、いわぱすごい「編集力」を持った人がいるけれども、これからはデザイナーも、いいものとそうでないものを瞬時に取捨選択し自分が良いと思うものをどんどん編集してゆけるような能力も必要な気がする、と。 |
編集ということで言えば、grafのピルを見ているとあの建物自体がなんか雑誌みたいな感じがする。
暮らしのための情報やモノがぎっしリ詰まった一冊の本みたいな、と語るのは[インハウスデザイナーは蔑称か」の著者として知られるジャーナリストの山本雅也氏。山本氏はパルプ崩壊後からの取材依頼の傾向が、広告のためのグラフィックデザイン~建築~インテリアと家具、そしてバリアフリーやユニバーサルデザインといった流れになってきていて、これはいわばメディアが作り上げてきたブームみたいな側面もあるので、必ずしも時代を正しく反映していたものかどうかはわからない。けれども、少なくとも現在は、会場をみてもわかるようにここにお集まりの各ジャンルのデザイナーの方たちに寄せられる期待はとても大きいし、その期待に応えるチャンスでもあると思うので、力を存分に発揮してほしい、と。また、大袈裟かもしれないがデザイナーは日本をよい方向に変えてゆく力を持った人たちだと思うから、それをデザイナー自身はもちろん、多くの人に知ってもらいたいし、自分はその橋渡し役としてこれからもいい取材をしてゆくつもりであると、締めくくった。