SECTION「SECTION38」
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シンポジウム「それぞれのデザイン」は会場を大阪・中之島公会堂に移し、
活躍の場や世代の異なるそれぞれのデザイナーがベンチに腰掛けリラックスしながらトークを展開。大阪ならではの熱気あふれるひとときとなった。
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マンダリンオリエンタルホテルの仕事は個人宛に英文でオファーが来たが、長年にわたりさまざまな仕事に携わってきたので違和感はなかった。しかし若い頃は仕事を楽しむことができず、組織の中で悩みを抱えていた時代もあった。けれどもそれに耐えて続けてゆくうちに賞をもらったりして前向きになってきた。すると雑誌などにも取り上げられ、信しられないような大きな仕事がやってくるようになった、と淡々と語る小坂竜氏。 |
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佐藤オオキ氏は、自分の仕事がどのように消費されるかとかどう残されていくかということにあまリ興味はないかも知れないと言う。また短期間で色々な仕事をやらせてもらえるようになったのは、あくまでも周りの人たちの助けと運の良さがあったからにほかならないと説明する。さらに一部のメディアは自分たちのことを徒弟制度に対する反逆児みたいな形容をするが、そんな意識はまったくないとも語る。デザイナーがデザインのことだけを考えていられるようにするにはどうすればいいか、というのがnendoをスタートさせる時最も考慮した点らしい。結果、マネージメントとPRを他のメンバーに任せたが、それぞれの仕事の価値はデザインとまったく等価であると言う。そもそもの成り立ちが大学 |
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佐藤氏はいきなりフリー、間宮氏もそれに近い形、小坂氏は企業の中で20年、關氏は高松伸氏のもと、ある意味徒弟制度の中で育った。そしてそれぞれの皆さんが第一線で華々しい活躍をしているというこの事実。デザインの世界でこんなにもデザイナーのバックボーンとキャラクターの違いがはっきりとありながらそれらが共存している時代は珍しいかも知れない、と山本雅也氏。 |
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平日の夕方にもかかわらず会場中が聴衆で埋め尽くされた | パキスタン地震支援両会場で33万4834円が寄せられた | 懇親パーティ パネリストと来場者が 和やかな交流 |